子どもは自分で覚えていく
子育てをしていると、どのくらいの年齢から何をさせるのが良いか、ということに関心が高まります。
何をするにも、まだ早いかな、という先入観から入ります。
最初は赤ん坊でしたから、泣くだけの子どもが、だんだん1つ1つのことができるようになってくる過程を見てて、知らないうちにできるようになったこともたくさんあります。
親が思っているようなスピードで子どもは成長してくれないので、ハイハイができたかと思えば、すぐに立って歩き始め、机の上に手が届きます。
立ち方や歩き方を教えているわけではありませんが、子どもは自分の意志で成長していきます。
子ども自身が、自分の成長可能なスピードで、成長をしていきます。
教えること、真似ること、学ぶこと
しかし、大人が教えなければ次の段階に進まないこともあります。
手で食べている状態から、知らない間に箸を使えるようになったということはありません。
やはり、適度な段階に達すれば親が教えていかなくてはならないこともあります。
ただ、それを逃しても、見よう見まねで同じようなことをし始めて、知らない間にやっていることもあるでしょう。
学ぶは真似る
学ぶの語源が真似るにあるように、ほとんどのことは真似ることから始まります。
教えるといっても、ほとんどは真似をさせるということですね。
箸の使い方を理屈で教えても、使えるようにはなりません。
子どもの興味を広げる
子どもはどんどん興味の対象を広げていきます。
何か動いていれば、それらを目で追って、手で掴もうとするかもしれません。
あらゆるものが初めて見るものですから、それは大きな感動の毎日です。
大人にとって大したことのないものでも、子どもにとっては、とんでもない感動です。
車が動いても、
電車が走っても、
天ぷらを揚げても、
野菜を切っても
何をしても、凄いことなのです。
そんなシンプルな感動がたくさんあればあるほど、興味はもっと多くのことに繋がっていきます。
子どもには、まだ早い?
ハイハイの赤ちゃんに、自転車を教えるのは、まだ早いでしょう。
でも、ハイハイの赤ちゃんに、クラシックを聴かせるのは、まだ早いのでしょうか?
赤ちゃんには、クラシックは理解できないでしょう?
そういう質問もあるかもしれませんが、では、何歳になったら理解できるのでしょうか。
私たちは、理解できているのでしょうか。
赤ちゃんは、赤ちゃんなりにクラシックを理解していることでしょう。
大人が聞くような感性ではなく、あかちゃんなりの感性があるはずです。
その音楽が鳴っても、それがクラシックだとも感じないでしょう。
クラシックだとかそういう種類分けをしているのは、大人がしているだけのことです。
単なる音楽、いや、音なのかもしれません。
子どもには、まだ早い!
一方、幼児期から、勉強を詰め込む親もいます。
友達が中学受験するから、自分も受検したい
これがいけないとはいいませんが、私の子どもならもう少し考えさせるかもしれません。
勉強すること・・・・親にとっては勉強のできる子が良いかもしれません。
本当に幼児期から、数字や言葉を覚えさせたがる親が多くいます。
数字や言葉よりも、もっと大切なものはないのでしょうか?
友達と遊ぶほうが大切じゃないかと思いますし、そんな中でコミュニケーションも養われるし、文字だけでないもっと別の形での表現や伝達方法も学べるかもしれません。
数字を数えたり、言葉を使ったりすることを早くできたからといって、何も、頭が良くなるわけではありません。
いずれはみんなできることなので、それが早くできたと喜ぶのは親と親戚だけです。
逆に、数字や言葉などの概念に頼ってしまって、それ以上の表現や想像ができなくなることも一方であるかもしれません。
これは、赤です。
これは、3です。
これは、空です。
赤にもいろいろな赤があるし、
数字も見方によっては数が変わるし、
空もどこから空なのか宇宙なのかもわかりません。
色はもっと想像できるかもしれません。
数字も、単なる記号以上に量などの概念があります。
空というものも地球や宇宙などの一部として感じられるかもしれません。
記憶というのは、論理的なものだけではなく、もっと感性的な記憶も多くあります。
臭いや空気感、動いた感情などが記憶になっていることもあるのではないでしょうか。
子どもにとって大切なのはどちらかといえば、そうした感覚的記憶なのでしょう。
理論的記憶が楽しくなってしまうと、感覚的記憶は後回しになってしまいます。
そうしたいわゆる勉強とやらは、小学生からで十分じゃないかと感じます。
未来に必要なスキル
人材採用や育成で何万人の人を見てきた中で、生きていくために必要なスキルがあるような気がします。
そして、これから何十年後かの未来の環境で、どんなスキルを身につけていると可能性が広がるのか?ということもあるような気がします。
まず、現在の教育を疑うところから始めはどうでしょうか。
誰が考えた仕組みかはわかりませんが、学校の5教科は、社会で生き抜いていくために本当に必要な教科でしょうか?
理科の化学記号、社会の歴史・・・・ほとんどが社会では役に立ちません。
興味が沸いたらそれでいい、という人もいますが、だったら、沸いた人だけがやればいいと思います。
その知識そのものは生きていくためにほとんど意味のないものですし、99%以上は忘れています。
ただ、そうした知識は別として、考え方の中から、様々な概念を身に着けることは大切だと思います。
ただその概念も、ダラダラと小学校で6年間も机に向かっているから身につくような気はしません。
もっと生きていくために必要な知識やスキルとして、様々な概念を身につけていったほうが役に立つと思います。
たとえば、お金の概念はとても大切ですが、学校ではほとんど習いません。
投資や消費、
どうやったら働くこととお金が結びつくのか?
そんなことは、社会に出てから何となくわかっていくことです。
でも、卒業したら働くわけですから、やっぱり、学生のうちに知っておかないといけない気がします。
憲法や法律も、全部を網羅して暗記させるような試験には意味がないのではないでしょうか。
それよりも、たとえば契約というのは何かということを理解しておけば、人生を失敗する人も少しは減るかもしれません。
自分が学んできたことやその方法を、そのまま子供が真似しても、通用する社会ではなくなってきています。
そして、単に、知識やスキルだけでなく、感性で人生を楽しめるような感覚はもっと大切だと思います。
未来の社会で生きていく子供にとってはサバイバルな環境が待ち受けていますが、親にとってはそうした社会で生き抜いていけるようなスキルを予測して身につけさせていくようなことができなければならない時代になってきたような気がします。